2024年04月21日

都会と地方の違い(自分の場合)

 こういう話、定期的に話題になりますよね。

 私も美術展や観劇はカードになりません。音楽のコンサートはまあまあ強カードだけど、大阪や京都に住んでた時もあまり行ってなかった(東京なら多少は行ったかも)。私が少年〜学生時代を大阪・京都で過ごした時に最強カードだったのは、自力で気軽に行ける範囲内にヤマハミュージックサロン(梅田第1ビル、その後閉鎖)、ササヤ書店、心斎橋ヤマハという気合の入った楽譜専門店があったことです。

 最初に洋書スコアを買ったのは梅田のヤマハでした。その前に阪神百貨店の楽書売り場に行ったら、日本の出版社のスコアは少し置いてあったんだけど、洋書スコアはありませんか?と店員さんに聞いたところ、梅田のヤマハとササヤ書店を教えてくれたのです。今から思うと、百貨店の店員さんの紹介としてはかなり異例だと思う。音大出身者だったのかな? ササヤ書店で、マーラーの交響曲6・7番(Eulenburg版)のスコアの取り寄せを依頼して、父に受け取ってきてもらった。中学2年ぐらいの時だった。

 自力で店に行って買ったのは、ムソルグスキー/ラヴェルの「展覧会の絵」(Boosey & Hawkes)が最初です。その後、ホルストの「惑星」とかストラヴィンスキーの「春の祭典」などの定番ものから、一時期ハマったバルトーク(生誕100年のときだと思う。FMで毎週のように放送してた)のスコアなど。クセナキスの「ペルセファッサ」とかベルクの「ヴォツェック」(全曲版フルスコア)も取り寄せで買ったな。あと、買わなくても棚は一通り見ていたので、ツィンメルマンの「兵士たち」みたいな特殊な作品も、この頃(中高生)から存在だけは知ってました(めちゃくちゃ分厚くて目を引いたし、売れないためいつ行っても置いてあったから)。この時の蓄積があったから、大学で吹奏楽部に入っても先輩たちの難しい議論についていけたし、居場所を確保できた。当時、人間関係の構築が絶望的にヘタだったので、これがあったのは大きかったです。そういうマニアックな知識を受け入れてくれる仲間にも恵まれたわけですが。

 その後 Nifty-serve の FMIDICLA に参加した時も、この蓄積は効きましたね。もちろんその筋のプロがごろごろいらっしゃる環境だったので、あくまでも「素人」としての立ち位置ですが、居場所は作れました。京都を離れた後、岡崎・名古屋と移り住んだのですが、ずっと岡崎とか名古屋で生まれ育っていたら、こうはならんかっただろうな……とは思います。(名古屋近辺には県芸・名古屋音大があるし、公立の音楽高校が2つもあるので、気合の入った楽譜屋さんはどこかにあるのかもしれませんが、まだ探せていません。)

 なお、地方のそこそこ大きな都市を訪問する時は、時間があればその都市の楽譜屋さんを探して立ち寄っています。けっこう強いなと思ったのは仙台と浜松でした。浜松はまあ当然かな。東京のアカデミアミュージックと、大阪のササヤ書店に匹敵するお店は、なかなかないようです。

タグ:社会 音楽
Posted at 2024年04月21日 13:01:26

2024年04月20日

映画「戦雲(いくさふむ)」

 ナゴヤキネマ・ノイで見てきました。ほぼ満員!

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出典:eiga.com、「ポスター画像」 https://eiga.com/movie/100996/photo/

 沖縄県先島諸島に自衛隊の施設が次々と作られ、「要塞」化している現実を伝えるドキュメンタリー映画です。その変化を地元の人たちがどのように受け止めているのか、丁寧に描いていきます。

 本作で描こうとする内容を象徴するのが、この言葉でしょう。

多少の犠牲は仕方がないさというときの、「多少」のなかに、私たちが入っているよね?

 この言葉にある「私たち」は、先島諸島の人たち、だけではない。「国を守る」といいつつ、守ろうとしているものは何なのか。守るために、捨てようとしているものは何なのか。映画の中で、島から出撃した特攻隊員の話が出てくる。「不死身の特攻兵」(鴻上尚史、講談社現代新書)にある通り、特攻を命じた上官は、「最後に自分も出撃する」などと言っておきながら、自分は早々に逃げ出す。「国を守る」というとき、守られる対象は「偉い人たち」だけであって、あなたや私ではない。

 中国が領土拡大の野心を隠そうともしていない、という現実は確かにある。ただ、「台湾有事に対抗する」というのは、対米従属の枠組みの話で、日本の国土を守る、という話とは少し違う。アメリカが台湾を守るために、在沖米軍基地から軍事行動を展開し、それに自衛隊も協力する(もはや後方支援だけでは済まなくなっている)。結局アメリカと中国の覇権争いの先兵にさせられてる、ってことだよね? つまり、結局守る対象は「アメリカの偉い人たち」だけ、ということになる、のか?? んなアホな話あってええんかいな。

 では、戦争を回避する手段はあるのか?というと、これはまた難しい問題で、簡単に答えが出そうな話ではない。戦争そのものについて、もっと知る必要はあるな、と思っています。この映画の中でも、反対運動に携わっている人が「小さい時は戦争のことなんか知るのもいやだった、でも今はすっかりオタクになってしまった(笑)」と言っておられた。戦争を理解しない者が平和を語ることはできない。自分も勉強しようと思います。

タグ:映画 社会
Posted at 2024年04月20日 20:45:06

2024年04月18日

「大地の五億年」(藤井一至著、ヤマケイ文庫)

 土の研究者である著者が、いかに「土」が作られ、地球上の生命を維持してきたかを語る、壮大な労作です。

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 第1章は、タイトル通り、「土」の起源をめぐる5億年の旅です。5億年前とは、植物が海中から地上に進出した時期です。最初に「岩」から「土」を作り始めたのが地衣類であること、地衣類は藻類とカビが共生したものであること、など、のっけから初めて知る事柄のオンパレードでした。地衣類は植物の一種のように思っていたんだけど、違うんですね。このあと、シダ植物が現れて、泥炭土から石炭ができる話になります。ここで突然、モンゴメリの「赤毛のアン」から「道の土が赤い」というセリフが引用されます。ここだけではなく、この本はしょっちゅう脱線が起きます。基本的に地質学・化学・古生物学などの知識をちりばめた、専門性の高い内容なのですが、こういうユルい脱線が随所にあるので、気分転換になって読みやすい。このあと、森のキノコの役割や、熱帯雨林の生成、北方に追いやられた針葉樹などが紹介され、5億年の旅はいったん完結します。

 第2章は、土と生物との関わりです。一部は恐竜など古代生物ですが、大部分は現在も生きる生物たちのなりわいです。特に、著者が研究者としての第一歩を踏み出すきっかけになったという、熱帯雨林の「茶色い水」の話は興味を惹きました。「木」にあって「草」にないものがリグニン(ポリフェノールの一種)であること、リグニンの分解を請け負っているのが(第1章にも登場した)キノコであること、その実態はリグニン酸化酵素で、これが酸性条件で活性化すること、など、これまた初めて知る話ばかりです。

 第3章は、ヒトによる農業の1万年の歴史です。農業は、「収穫物が持ち出される」という点で自然生態系とは根本的に異なる、という主張が最初に書かれています。つまり、「循環型農業」というのは、ヒトの排泄物を畑に戻さないと成り立たないわけです。当たり前のことですが、根本的な事実として認識する必要はあります。また、ハーバー・ボッシュ法による人為的な窒素固定によって、地球全体で養えるヒトの数が3倍に増大したことも見逃せません。本書では、これに加えて「農業の歴史は土の酸性化との戦い」という視点から、焼畑農業や水田耕作について論じています。

 最後の第4章は、「土のこれから」です。「歴史に照らして私たちの暮らしと土の今と未来を見つめたい。」と著者は言います。典型的な現代人の1日の食生活を例に挙げて、それぞれの食材を「土」を切り口として眺めていきます。問題点がいろいろ見つかりますが、もちろん解決策が簡単に見つかるわけではありません。ただ、まずは「知ること」から始めないといけないのではないかな、と思います。

タグ:読書
Posted at 2024年04月18日 21:24:53
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